2011年07月27日
ニャンドゥティ
Ñanduty (ニャンドゥティ)
パラグアイの代表的な民芸品で、グァラニー語で『蜘蛛の巣』という意味の刺繍です。


ニャンドゥティの民話
昔、ある村の若者が酋長の娘に恋をしました。
娘の結婚条件として酋長は、その若者に
「娘が気に入るプレゼントを持ってきたらお前と娘を結婚させよう」
と言いました。
貧しい家の若者は高価なプレゼントなど
用意できるわけがなく途方にくれて
森の中をさまよい歩きつづけました。
歩きつかれて、ふと見上げると森の中に
キラッと光るものを見つけました。
よく見るとそれはクモの巣に付いた朝露が
木漏れ日を浴びて光っていたのでした。
若者は家に帰ってその美しい光景を母親に伝えました。
母親は息子のために一晩中かかって美しい「クモの巣」
を作り上げました。そして次の日、若者は母親が作った
「クモの巣」を持って酋長の家へ行きました。
娘も酋長もそのプレゼントに大層喜び、
若者は娘と結婚することができました・
娘の結婚条件として酋長は、その若者に
「娘が気に入るプレゼントを持ってきたらお前と娘を結婚させよう」
と言いました。
貧しい家の若者は高価なプレゼントなど
用意できるわけがなく途方にくれて
森の中をさまよい歩きつづけました。
歩きつかれて、ふと見上げると森の中に
キラッと光るものを見つけました。
よく見るとそれはクモの巣に付いた朝露が
木漏れ日を浴びて光っていたのでした。
若者は家に帰ってその美しい光景を母親に伝えました。
母親は息子のために一晩中かかって美しい「クモの巣」
を作り上げました。そして次の日、若者は母親が作った
「クモの巣」を持って酋長の家へ行きました。
娘も酋長もそのプレゼントに大層喜び、
若者は娘と結婚することができました・
2011年07月25日
コパ アメリカ
残念ながら! 優勝することは出来ませんでした。

今日は 一日 しょんぼり です!
明日から また 元気にパラグアイを 紹介しながら 活動します!
これからも パラグアイの音楽 アルパを よろしくお願いします!
2011年07月18日
パラグアイ 準決勝
今日は明け方から忙しかったです!!! テレビで日本戦.......
パソコンではパラグアイ戦、 しかも 両方 PK戦に......
サッカー! 最高!

あの ブラジルに 勝ちました!

なでしこジャパン!!! 世界一!!!
2010年10月02日
パラグアイの国花



一般的には「Pasionaria(パシオナリア)」もしくは
「Mburucuya(ブルクジャ)」と呼ばれています。
先住民が「Manaka(マナカ)」と呼んでいたものです。
日本では「時計草」と知られているものです。
実はパッションフルーツとして皆さんも良くご存知だと思いますが、
ジュースやジャムがおいしいです。
時計草は種類が豊富でいろんな色の花があります。
「Mburucuya(ブルクジャ)」と呼ばれています。
先住民が「Manaka(マナカ)」と呼んでいたものです。
日本では「時計草」と知られているものです。
実はパッションフルーツとして皆さんも良くご存知だと思いますが、
ジュースやジャムがおいしいです。
時計草は種類が豊富でいろんな色の花があります。



つる状態で 棚を作ってあげるとこのように伸びます。


2010年10月01日
2010年09月28日
パラグアイの日系人
日系移民が最初にパラグアイに入植したのは1936年のこと。
ラ・コルメナという移住地にブラジルから10家族、
日本から11家族が入植したことに始まる。
その後、戦争で移住は一時中断したが、1955年に再開。
南部を中心に移住がすすみ、現在、パラグアイに居住する
日系人は8000人ほどといわれる。
多くは農業に従事するが、アスンシオンやエステ、
エンカルナシオンといった都市部で商業を営むものも増えてきている。
日系人が移住するまでは、パラグアイでは野菜を食べる習慣が
乏しかったが、日系人が豊富な種類の野菜を導入したことで、
市場には色とりどりの野菜が並ぶようになった。
パラグアイ料理に欠かせないタマネギやトマトでさえも日系人に
よってもたらされたものだ。また、輸入に頼っていた小麦の生産も、
日系移住地を中心に広がり、現在では輸出されるまで成長。
そして、日系移住者の経済貢献でも注目されるのが大豆の生産である。
もともとは味噌など作るため、自家用に日系人がもちこんだが、
大型機械の導入とともに生産量は急激に伸び、やがて他の民族にまで
大豆生産が広まるにつれて、大豆はパラグアイの主要輸出品目にまでなった。
ラ・コルメナという移住地にブラジルから10家族、
日本から11家族が入植したことに始まる。
その後、戦争で移住は一時中断したが、1955年に再開。
南部を中心に移住がすすみ、現在、パラグアイに居住する
日系人は8000人ほどといわれる。
多くは農業に従事するが、アスンシオンやエステ、
エンカルナシオンといった都市部で商業を営むものも増えてきている。
日系人が移住するまでは、パラグアイでは野菜を食べる習慣が
乏しかったが、日系人が豊富な種類の野菜を導入したことで、
市場には色とりどりの野菜が並ぶようになった。
パラグアイ料理に欠かせないタマネギやトマトでさえも日系人に
よってもたらされたものだ。また、輸入に頼っていた小麦の生産も、
日系移住地を中心に広がり、現在では輸出されるまで成長。
そして、日系移住者の経済貢献でも注目されるのが大豆の生産である。
もともとは味噌など作るため、自家用に日系人がもちこんだが、
大型機械の導入とともに生産量は急激に伸び、やがて他の民族にまで
大豆生産が広まるにつれて、大豆はパラグアイの主要輸出品目にまでなった。

2010年09月11日
パラグアイの国旗
パラグアイの国旗は 世界で唯一、
表と裏で紋章が異なる珍しい国旗。
旗の表が独立記念日の“5月の星”、
ヤシやオリーブの葉そして国名などが描かれた国章。

裏は自由の帽子とライオン、「平和と正義」と
書かれた国章の証印。

国旗の色にも意味があります。
赤は独立戦争、白は平和、青は自由と秩序の象徴。
表と裏で紋章が異なる珍しい国旗。
旗の表が独立記念日の“5月の星”、
ヤシやオリーブの葉そして国名などが描かれた国章。

裏は自由の帽子とライオン、「平和と正義」と
書かれた国章の証印。

国旗の色にも意味があります。
赤は独立戦争、白は平和、青は自由と秩序の象徴。
2010年08月16日
パラグアイ情報
パラグアイは " Corazon de America del sur " ( 南米のハート=心臓部)と知られています。南アメリカ大陸のほぼ中央に位置しており、北にボリビア、東にブラジル、南と西アルゼンチンと隣接している内陸国です!
首 都:アスンシオン Asuncion
面 積:41万平方km(日本の約1.1倍)
人 口:549万人(2000年)
通 貨:グァラニー Guarani
民 族:先住民族とスペイン人との混血が96.5%
言 語:公用語はスペイン語とグァラニー語(先住民族グァラニー人の言葉)。国歌もスペイン語とグァラニー語の両方あります。
首 都:アスンシオン Asuncion
面 積:41万平方km(日本の約1.1倍)
人 口:549万人(2000年)
通 貨:グァラニー Guarani
民 族:先住民族とスペイン人との混血が96.5%
言 語:公用語はスペイン語とグァラニー語(先住民族グァラニー人の言葉)。国歌もスペイン語とグァラニー語の両方あります。